(15)達弥西心のわかりやすい話「足りないもの」

達弥西心のわかりやすい話「足りないもの」

●伝統をついでいく(3/4) - HMU 達弥西心

伝統を継いでいくには地道な努力が継続されなければならない。「やめてしまおうかな」の揺れる思いを乗り越えていかなければならない。経営によく似ている。

伝統を途絶えさせるには、たった一言、「や〜めた!」で充分。

●伝統をついでいく(2/4) - HMU 達弥西心

その『嵯峨音頭』盆踊りを8年前に復活させたのは、率直に楽しそうだったからだ。特に、時代の激流のなかを長くがんばって生きてきた人生の先輩たちにとって「郷愁に似た懐かしさ」を感じるものだと思ったからだった。懐かしいと感じてくれる人が、まだいてくれるうちに復活しておきたかった。太鼓の叩き方や音頭口説き、踊りも習っておきたかった。

●伝統をついでいく(1/4) - HMU 達弥西心

地元の町にいくつか残っていた『嵯峨音頭』盆踊りも、いつの間にか途絶えた。人が集まらない。特に若い者が見向きもしない。太鼓の叩き手、音頭の口説き手がいなくなったのがその理由だとか。

●復活『嵯峨音頭』盆踊り  七、復活させたい『嵯峨音頭』盆踊り 〜地元の人のおもい〜 - HMU 達弥西心

上田布施の方が最近、『嵯峨音頭』を踊る模様を録画したビデオを観たのだそうだ。観始めて、しばらくすると何だかウキウキしてきて自然に体が動き出したという。そして、昔ウキウキしながら盆踊りを踊っていたこと、その頃の時代を一緒に生きた人々の姿をいつの間にか思い出していったのだという。そしてポツリとこう言ったのだそうだ。

「あの盆踊りは、あの頃、本当に楽しかったねぇ。」

今、上田布施では、かつてのような盆踊りは行われていない。(平成14年6月現在)

太鼓叩きがいない、『音頭口説』がいない、そして櫓を立てる人が、踊りを踊る人がいないから、だ。踊りたくても、踊れない。これが現状なのだが、上田布施の地でかつての勇壮な太鼓の音、『音頭口説』たちの凛としたうた声が聞こえ、そして粋な踊りを踊る人があふれる盆踊りをもう一度、見てみたい。そして一緒に踊りたい。耳を澄ますと、地元の人から、少しずつそんな熱い思いのこもった声が聞こえてくる。

もう一度、あの頃の盆踊りがよみがえったら、きっと、皆、昔感じたように、なんだかウキウキしてドキドキしてくるのではないだろうか。そうしてきっと、少年のような目をして、顔をしわくちゃにしてこう言うのではないだろうか。

「上田布施って良い所だよね。」

「上田布施に住んでいて、本当に良かったね。」

と。


参考文献:
●中道静夫  「嵯峨踊の由来(その一)(その二)」 『光地方史研究』第九号   1983年
●林芙美夫  『郷土館叢書第四集 田布施地方の口承文芸 民話・民謡・ことわざ』1998年

●復活『嵯峨音頭』盆踊り  六、『嵯峨音頭』は、そして盆踊りは今・・・ - HMU 達弥西心

この伝統芸能でもある『嵯峨音頭』。そして人が熱く熱く、そしてなんだかウキウキしてくる上田布施の盆踊り。一目見てみたい、踊ってみたいものである。

今、上田布施では、かつてのように盆踊りは行われていない。

しかし、今でも、上田布施近くに『嵯峨音頭』を、太鼓と『音頭口説』にのって踊る昔ながらの盆踊りを、大切に伝え継いでいる地区がある。そうなのだ。今でも『嵯峨音頭』は、あの盆踊りは生きているのだ。

『嵯峨音頭』を今でも大切に守り続け昔と同じようなかたちで踊っているのは、上田布施より南側に位置する麻里府(まりふ)地区の方々だ。この麻里府地区には、『嵯峨音頭保存会』というものがあり、『嵯峨音頭』を次の世代に伝え、踊り、うたい継ぐ取り組みをしている。太鼓の練習には、保存会役員の方と麻里府小学校のほとんどの子どもたちが参加しているのだそうだ。

麻里府地区では(平成14年6月現在)、毎年夏になると小学校の校庭に櫓を組み、盆踊りを開催している。進学や就職などで他県にいる人も、盆踊りの時期になると帰ってきて太鼓を叩き、うたい、踊るとてもにぎやかな元気いっぱいの盆踊り。多いときには、500〜600人で踊るそうだ。

太鼓を叩きたくて、音頭口説をしたくて、踊りたくて毎年たくさんの人が喜んで集まる盆踊り。昔の人々の熱い熱い思いもそのまま、伝え継いでいるのだという。

●復活『嵯峨音頭』盆踊り  五、古い時代からうたい、踊り継がれてきた『嵯峨音頭』 - HMU 達弥西心

Cさんの話は、次のようなものであった。

盆踊り『嵯峨音頭』の歴史はたいへん古く、なんと踊りは今からさかのぼること700年も前から踊られ、唄は江戸時代から同じ唄がうたわれていたのだそうだ。

今から700年ほど前、上田布施からやや南側にある熊毛郡田布施町麻郷(おごう)、別府(べふ)から光市伊保木(いおき)にわたる地域は、宝筐院(ほうきょういん)という京都府の嵐山嵯峨野にある寺の領地だった。

宝筐院とは、平安時代白河天皇の勅願時として建立され、室町時代、二代将軍足利義詮の菩提寺となった寺である。

この宝筐院で行われていた宗教行事が、当時この地でも同じようにとり行われていたという。踊りもそのひとつで、そのころ京都で踊られていた「念仏踊り」(「嵯峨大念仏踊」とも言う)が、そのまま田布施の地に伝わり、地元の人々によってその後踊り伝えられるようになったのだという。そしてこの踊りが上田布施で踊られていた『嵯峨音頭』の原型になったという。

またこの念仏踊りが伝わった同時期に、守護大名・大内弘世(おおうちひろよ)という人物が山口を治めていた。彼は大変な京都好きで、京都と山口の地形が似ていることを喜び、京都を真似て山口に「西の京」をつくろうとした人物である。京都の祭り「祇園祭」を導入したり(今でも、毎年七月二十日から八日間行われている)、京都から子どもを招き町かどに立たせて京言葉を広めようとしたり、と庶民の生活に密着した形で京都文化を積極的に取り入れていたそうだ。この大内弘世。実は、ここ田布施に別荘を建てて住んでいた(現在の大内公園)。京都と縁のある田布施への京都文化の導入は、大変熱の入ったもので、その文化は田布施に住む人々に自然に受け入れられ、京都の踊り「念仏踊り」が長い間庶民によって守り伝え継がれた要因のひとつとなったと言われている。

また、『恵比屋の甚九』や『源平盛衰記・那須与一』などさまざまな唄から構成されている『嵯峨音頭』の唄は、京都・大阪方面でうたわれていたものが伝わったものとされている。

これらの唄は、もともと江戸時代の享保年間(1716〜1736)頃に京都・大阪方面で出版された「兵庫口説」という歌本に載っていたものである。この歌本に載っている唄を、海運業にたずさわる者が移動する際、各地に伝えていたのではないかと考えられている。特に『恵比屋の甚九』は、北陸・関東・中国・九州と日本全国に伝わった唄で、当時おおいに流行したのだそうだ。

つまり、『恵比屋の甚九』をはじめとする『嵯峨音頭』の唄は、江戸時代、貿易基地として栄えた麻郷・別府辺りの海運業者が、遠く京都・大阪より持ち帰り伝えたものと考えられるのである。

このように『嵯峨音頭』の踊りと唄は、遠く離れた京都・大阪より伝わり、田布施に住む人々によって長い年月をかけ大切に守り伝えられた伝統芸能であると言えるのだ。

●復活『嵯峨音頭』盆踊り  四、粋な踊りと太鼓、そして『音頭口説』 - HMU 達弥西心

次に語っていただいたのは、Cさんである。Cさんは、昔から祭り用の太鼓のバチを自ら材木を調達し手作りで作っている方で、当時実際に太鼓を叩いていたのだそうだ。

「昔の盆踊りの様子をお聞かせ願えますか。」

そう問いかけるとCさんは、いつもそうであるように、背筋をスッと伸ばし淡々とそして力強く語りだした。

まず、太鼓叩きの様子について。

太鼓叩きは、櫓の上に3〜4人登り、交代で威勢よく太鼓を叩いたのだそうだ。

「3〜4人、一緒に叩くのですか。」

という質問に、Cさんは首を横に振り、こう答えた。

「単に太鼓を叩くのではないのだよ。」

「・・・といいますと?」

Cさんは自分の拳をポンポンと叩きながら続けた。

「太鼓叩きは、バチを持った手に包帯を巻いて、バチと手と一緒に太鼓を叩いたもんだ。血をにじませながら、全身で叩くんだ。だから、交代で叩かないともたないんだよ。」

「櫓の下には、15人ほどの音頭口説がいてね。『恵比屋の甚九(えびやのじんく)』や『源平盛衰記・那須与一(げんぺいせいすいき・なすのよいち)』を朗々と唄いあげていくんだ。」

そう言ってCさんは、『源平盛衰記・那須与一』を少しうたってくれた。それは初めて聞く唄、しかしどこか懐かしい唄だった。そして、Cさんはおもむろに「よいしょ」と椅子から立ち上がり、

「ちょっと待っていてください。」

と言って、部屋を出ていった。何事だろうと思って待っていると、やがて、何かを手にして部屋に戻ってきた。

「歌詞が残っていましたよ。」

と言ってCさんが差し出したのは、『恵比屋の甚九』『源平盛衰記・那須与一』の歌詞であった。内容を読んでみると、物語を読んでいるようなそんな唄だった。

『恵比屋の甚九』『源平盛衰記・那須与一』は、こんな唄である。


『恵比屋の甚九』
  こんど長崎えび屋の甚九       親の代から小間物売れど
  今は小間物売ることやめて      大阪通いの商売(あきない)なさる
  船を作って港へおろす        さても良い船甚九の船は  (後略)

『源平盛衰記・那須与一』
  その名ふれたる下野の国      那須の与一の誉れの次第
  形は小兵のござ候えども      積もるその年十九なり
  矢をば一射に名を万代に      残し給いし所はいずこ   (後略)



「この辺りで踊られていた盆踊りは『嵯峨音頭』って言ってね。『恵比屋の甚九』や『源平盛衰記・那須与一』の唄で踊る踊りをまとめて『嵯峨音頭』と呼んでいるんだよ。」

「嵯峨、とは京都にある嵯峨野の嵯峨ですか。」

「そうそう。」

ウンウンと頷きながら、Cさんは続けた。

「この辺りは、昔、京都のお寺の領地じゃった。それで京都の文化がこちらに流れてきたんじゃろうと言われているよ。京都で踊られていた念仏踊りがそのままこの地に伝わって、今の盆踊りになったんだろうってね。」

上田布施で踊られていた踊りは、京都から伝わったもの。さらに、Cさんから話を聞いてみると、この上田布施の盆踊り『嵯峨音頭』の歴史は非常に古いものということがわかった。Cさんは、歴史の本をぱらぱらとめくりながら『嵯峨音頭』の由来を教えてくれた。

●復活『嵯峨音頭』盆踊り  三、「盆踊りには何でもあった。今でいう『ふれあい』の場だったんじゃ」 - HMU 達弥西心

Bさんは、今から五十年ほど前、戦後間もない頃の盆踊りの様子を実に鮮明に覚えておられた。

「盆踊りねえ・・・。」

今から、五十年も前の様子を目の前に思い浮かべているかのように、ちょっと首を傾げながらBさんは盆踊りの会場の様子からゆっくり語りはじめた。

「まず太鼓叩きがあがる櫓は、その日の昼間から地元の青年団や有志たちが組み立ててたね。櫓は、会場の中央にドンと立てられるんだ。」

この櫓の周りには、紅白幕がはりめぐらされ、柱には短冊笹、大提灯が吊るされていたのだそうだ。

「盆踊りが盛り上がるのは、始まって一時間を過ぎた頃だったかねえ。盆踊りは、夜の七時くらいから始まるから、八時頃。踊りの輪は、はじめは一重なんだ。踊りが得意な人が、内側を踊ってねえ。盛り上がりをみせるとその周りにさらに人の輪ができて、二重・三重とその輪は大きくなって、人の数が増えていくんだ。踊り手は、手を上に下に太鼓と唄に合わせてゆっくりゆっくり踊ってね。そして踊り手も、踊りながら合いの手をいれるんだ。ドッコイショー、ドッコイショーってね。」

この盆踊りの踊りは、大変優雅で美しいものであるそうだ。手の動き、足の動き一つ一つがしなやかで、品がある踊りなのだそうだ。

当時は、子どもたちも大人の後ろについて、この踊りをヒョイヒョイと一生懸命に踊っていたのだという。ひと呼吸遅れながらも「ドッコイショー、ドッコイショー」の声に合わせて楽しそうに。

「踊りの最中、休みをとっているとね、どこからか婦人会の人がやってきてね、どうぞっておむすびの差し入れなんかをしてくれる。子ども達には、アイスキャンデーが配られてね。もらった子は、ほんとにうれしそうでね。そうそう(盆踊りの会場には)露店がならんでてね、アイスキャンデーだとか回転焼が売っていたよ。婦人会が果物を出したり、氷をシャリシャリとすっていたね。お楽しみがいっぱいあったよ。」

盆踊りは盛り上がりを見せてから二時間ほどして、「パーン、パーン」と終わりを告げる花火が打ち上げられたそうだ。この花火を合図に、思う存分盆踊りに参加し踊った人たちは、それぞれまた一時間ほどの道のりを帰っていく。

「盆踊りの太鼓叩き・『音頭口説』たちは、盆踊りが終わった後、ちょっとした会を開くんだ。その日の盆踊りの反省とか、来年はいつやるかなんていう事を打ち合わせてね。」

太鼓叩きや『音頭口説』は、誰でもできるわけではなく、人数も限られていたのだそうだ。そのため、自分の地区で人数が満たない場合は、他の地区の太鼓叩きや『音頭口説』に来年の盆踊りでの応援を頼んでいたという。「頼むで!」「おう!」という勢いで。

Bさんはここまで話して、少年のように無邪気に笑ってこう言った。

「あの頃の盆踊りは、今でいう『ふれあい』の場じゃろうね。」

当時の盆踊りは、社交の場だったようだ。淡い恋が、この祭りでたくさん生まれたのだそうだ。そして、若い男同士でのケンカも、祭りのたびにあった。それでも、次に顔を合わせると仲良くなっている、そんな後味がさっぱりしたケンカだったそうだ。老若男女、顔見知りであろうとなかろうと、ふれあい、互いを思いやり、皆はいっしょに「熱く」なり「ひとつ」になっていた。上田布施で行われていた盆踊りは、そんな心あたたまるものだったのだ。

●復活『嵯峨音頭』盆踊り  二、今から四十年ほど前まで、盛大な盆踊りが行われていた - HMU 達弥西心

まず、たずねたのはAさんだった。

Aさんは「どうだったかねえ」と言いながら、目の前の竹林を見つめ縁側でポツリポツリと話しだした。

「(盆踊りは)昭和四十年ごろまでやりよったと思うがねえ。今日は、どこどこで盆踊りぞって声がかかったら、若い衆はそそくさと夕飯をとって出て行きよったよ。男の人は、浴衣を盆踊りの会場まで小脇に抱えて持っていってね。会場に着いたら、ここ(袖)を肩までクルクルってまくって踊ってたねえ。」

当時、まだバスは通っておらず、移動手段は徒歩か自転車。盆踊り会場に着くまでに、また汗をかいてしまう。そこで男たちは少しでもパリッとした浴衣姿でいるため、会場まで浴衣を持っていきその場で着替えたというわけだ。着くずし方も粋だが、心がけもなんとも粋である。

女の人はどうだったのだろう。Aさんにたずねてみた。

「浴衣を着ている者は、知り合い同士で仲良く裾にそろいの模様の入った浴衣をこしらえたりしてたね。裁縫しよる人が縫うてね。男装をしている者もいたよ。そして踊る人は草履を履いてね。」

女の人も、単に浴衣を着るだけでなく、「楽しみながら」浴衣を着こなしていたようだ。

話を聞いていくうちにわかった事は、今から四十年前まで、毎年八月十四日・十五日になると、上田布施とその周辺地区で盛大に盆踊りが行われていたこと、当時は自分の地区以外の盆踊りにも喜んで参加していたこと、であった。また、驚いたことには、当時の盆踊りは、生のうた声と太鼓の音に合わせ何百人もの人々が集い踊っていたという。

「な、生の唄、ですか。」

ちょっとうわずった声で、聞き返した。カセットテープを流しながら踊る盆踊りしか知らない私にとっては、生のうた声で踊る盆踊りというものは「初耳」であったのだ。Aさんは姿勢を正してこう答えてくれた。

「そうだよ。生の唄。うたうことをここでは『口説く』って言ってね。口説く者を『音頭口説(おんどくどき)』って言ったんだ。櫓(やぐら)の下に十五人ほどで輪になっていてね。右手にうちわとか扇子、左手に酒を持って踊りながらうたいよったよ。うちわでこう、そっと持っている酒を覆い隠して、チビリチビリ飲みながら口説くんだね。うちわの裏には『覚え』(歌詞のこと)が書いてあって、自分のところをうたい終わったら、それをヒョイと上に上げるんだ。終わったよ、という感じで。そうすると、次の番になっている者がうたいだすんだよ。」

『音頭口説』とは、初めて聞く言葉だった。

Aさんは、ここまで話し終えた後、当時の盆踊りの様子をもっとくわしく覚えているという近所のBさんを紹介してくれた。

●復活『嵯峨音頭』盆踊り  一、実り豊かな田の町、田布施町 - HMU 達弥西心

昔から実り豊かな田の町、山口県田布施町。そして八雲八幡社のある上田布施。ここは春夏秋冬季節の花が咲き、人はどこまでも優しい、そんな場所。静かに、静かにゆっくりゆっくり時が流れる場所だ。その上田布施では、昔、今から四十年ほど前まで毎年夏になると人々を熱くさせる祭り「盆踊り」が行われていたという。

上田布施の人々は、昔行われていた「盆踊り」をふとしたきっかけで思い出す。そんな時、人々は顔をほころばせ、太鼓の拍子・唄を口ずさみ自然に体を揺らし踊りだす。そしてググッと胸を張り、
「あの頃の盆踊りは、そらあ楽しかったね。」
と少年の顔をのぞかせながら、「あの頃」を語りだすのである。

日本全国どこにでもある盆踊り。この上田布施にも、その盆踊りはあった。それは、人々を熱く・優しく・幸せにする不思議な力を持っていたという。一体どんな盆踊りだったのだろうか。かつての祭りを知る上田布施河原田の人々をたずね、話を聞かせてもらうことにした。
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